数ヶ月前、独身時代によく遊んで頂いた
同期のオネエサマ(彼女は大卒、私は短卒)から共通の知人の訃報連絡がありました。
彼女も、私も、その方に大変お世話になったものの
徐々に生活に追われ、
ここ10年程はご連絡もなかなか出来ていませんでした。
彼女は数年前毎に連絡を入れていたようですが、
それでも若い頃に比べるとさほど頻繁には出来ず。
ご子息も配偶者さんも既におらず、最後はご自身も病と闘っていらしたと聞きました。
ごめんなさい。
連絡出来なくて。
年に一度の便りでも、連絡はしていこうと、思いました。
今香港は木棉花(キワタ)の季節です
そんな寂しいお話しの最後に、近況が書かれていました。
やはり当時一緒に遊んでもらっていた同期の友人が同じ部署だそうで
その彼が、今では彼女の上司だと。
フーンと思いましたが、よく見たら専務?!
彼女達は百貨店の中でも特殊な、設計室に所属していて
現在分社化し、そこのエライ人になっていました。
彼女のダーリンも、当時よくしてもらっていた同期。
彼は関連会社へ出向し、そこでは部長さんだそう。
百貨店、とはいえ設計のお仕事をしていた彼ら。
バブル時代に入社しても、営業(販売)部よりは人数はさほど多くはありません。
コツコツと続けて実績上げていた彼らだからこそ、
なり得たのでしょう。
(とはいえ、興味本位で人事異動見たら同期の部長が続々誕生してました)
私は約15年で離職、その後やってみたい職に就くべくちょっとだけお勉強しましたが
養成講座のみは修了したものの、試験にはパスせず。
講座修了の資格のみではやはり専任になるのは難しく
やはり普通のお勤めの道に戻ることにしました。
その際、やっぱり簿記よね、と何故か思いたち、3級までで挫折。
結局、簿記とは程遠い職種でしたが、小口現金くらいは付けてました。
振り返ると、同じ会社に居続けていれば良かったのに、安泰だったのに、思いましたが、
盗んだバイクで走り出したいお年頃だったんですね。
万年反抗期の青年か。私は。
アラフィフでも残業帰りに買い食いはします
しかしまぁ、気付けばなんでも中途半端です。
だから、ブチョーさんにもなれない訳です。
まぁ、なろうとは思っていませんでしたが(エヘヘ)
役職、というよりも、お勉強して資格を持ってお仕事する、という
振り返るとそんな自分になりたかったのでしょう。
今は、カスタマーサービスのお仕事に就いています。
扱うものが海外有名ブランドなので、現地への報告などは全くちんぷんかんぷんな英語を使います。
パートタイムとはいえ、いつもあたまグルグルです。
Google先生、いつもありがとう。
このお仕事が、天職とは思いませんが、ダイレクトに人の役に立っている、と感じられるのは
個人的には嬉しいかもしれません。
さぁ、少しだけある自分の時間を使って何をしよう。
今は、自分のしたい事をしよう。
この週末は久しぶりに両日とも家にいます。
月曜には義母がパワーアップして帰ってきますので
少し体力温存しないとです。
なんて、一番大変なのはメイドちゃんなのですが。
長くなりました。
長々と読んでくださってありがとうございます。
皆さんも良い週末をお過ごしくださいませ^ ^